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<木戸啓二郎のみそかごと通信2016>

みそかごと通信 2016年12月31日の巻

 〈私がボブ・ディラン・フリークもどきになったいきさつ〉

 

その3、お江戸にて

 

1986年3月5日、日本武道館、ボブ・ディランを最初にライブで観たのはこの日だった。トムペティ&ハートブレーカーズを従えて二度目の来日公演の初日だった。情報収集力のない私だが、中学の同級生タカノ・ヒライ両氏の計らいでチケットをゲットすることができた。七年後も再び彼らと観ることとなる。

 

開演前は異常に緊張した。いわゆる外タレを観るのが初めてだったので、前座かなんかが入るものかと思っていたら、長めの前奏の次に「ジャスティス♪」いきなりディランの声が飛び込んできて度肝を抜かれた。ハートブレーカーズとの共演ということもあり、全体的にわりかし原曲に忠実なアレンジだった。リリースされたばかりの曲とか、カントリーのカバー曲とか、けっこう知らない曲が多かった。もっとディランを知りたくなった。

とりわけ、アンコール・ラスト曲の「天国への扉」は特に印象に残って、頭から離れなくなった。初来日の武道館ライブ等で知ってはいたのであるが、この日の演奏はずば抜けて良かった。その後、しばらくたって、ツアーの記念に発売された編集アルバム「バイオグラフ」でオリジナルを聴いた時、涙が止まらなかった。徹底した絶望の果てに希望を見出だす唄である。流行り唄によく有りがちな「一人じゃないから大丈夫♪」みたいな気休めはこの唄にはない。マイ・フェイバリット・ソングとなった。

 

アルバム全部集め始めたのはこの頃からだ。過去のディランも好きだが、リアルタイムのディランに感心が強くなった。80年代のディランも名曲が多く、枚挙に暇がないので、ここには書かない。週末になるとレコード屋へ行ってあさった。ディランが聴いたルーツ音楽にも興味を持ち集め始めた。

 

もう少し書きたかったのですが、今回は尻窄みになってしまいました。今年はディランに始まり(来日ツアー)、ディランに終わった(ノーベル文学賞)感があります。それでは、皆さん、よいお年を!!

 

 

<12月31日の巻のtext>

ボブディランとトムペティのライブバージョンがあったので挙げさせていただきます。

ヴァンモリソンとのコラボバージョンもありましたがこちらは隠し撮り風の臨場感がなかなかにおもしろいね。

アンプラグドバージョンもかっこいいね。

天国への扉を聴きながら2016年最後の夜をゆっくりとお過ごしください。

みなさん、よいお年を!

 

                       ~looseむらやま~

 

 

みそかごと通信 2016年11月30日の巻

〈私がボブ・ディラン・フリークもどきになったいきさつ〉

 

その2、高校生の頃

 

「これ、ちょっと、聴いてみ!」

「朝日のあたる家、ディランもやってたんだ!?」

「ディランもなかなかいいね!!」

中学の同級生マイコーがドラマーで参加していた高校生バンド「ラミア」の面々は気の置けない音楽仲間だった。彼らはビートルズのハンブルグ時代を彷彿とさせるような黒い革ジャン黒いズボンという出で立ちで、古いロックンロールをカバーしていた。そんな彼らのレパートリーの中にアニマルズの「朝日のあたる家」があった。ライブイベントの後、実家で打ち上げをやった際、ディランの「朝日のあたる家」を聴かせ、彼らにディランもなかなかいいねぇと言わしめた。それもそのはず、アニマルズはディランのファーストアルバムに触発されて、バンドアレンジで(エレキ化して)レコーデイングしたのである。が、当時、私が持っていたのは輸入盤で、当然、日本語のライナーノートはなく、そういったいきさつは知らなかった。これって笑えない?(笑)

 

「朝日のあたる家」について、もうちょいウンチクっちゃうと、作者不詳で(娼婦がつくった?)、人から人へ伝承歌として唄い継がれてきた。ウッディーガスリーやレッドベリーも取り上げている。メロディーはいろいろあったのかもしれないが、私が知っている限りでは、元々メジャー3コードの曲だった。それをアニマルズがやったようにマイナー循環コードで最初にやったのはデイブ・ヴァン・ロンク、つまり、今ではこの曲の定番となったコード進行をつくったのは彼だった。弟子のような立場だったディランが、事後承諾すればいいでしょう!みたく軽く考えて、デイブより先に、彼のアレンジでレコーデイングしてしまった。デイブは大いに怒ったという話である。ある意味、これも笑える!(笑)

 

さて、高校時代の私の音楽傾向は、今のように、凝り固まってはおらず、ジャンルを問わず、何でも聴いていたと思う。ただ、やっぱり、流行り唄は聞き流していた。ディランで、新たに買ったレコードは「ボブ・ディラン」「追憶のハイウェイ61」「ジョンウィーズリーハーディング」「欲望」「プラネット・ウェイヴス」「激しい雨」「スロートレイン・カミング」ぐらいだった。けっこう持ってたじゃん。あと、ハシやんが持っていた「ブリンキング・イット・オールバック・ホーム」もよく聴いた。

 

ディランフリークという言葉はあまり好きでないし、はたして、自分は本当にディランフリークなのか疑問に感じる部分がある。だけど、ノーベル文学賞に肖りたいというセコい気持ちがあり、何気に使ってしまった。今更遅いので、このまま押し通すことに…否、お尻に「もどき」をつけることにする。その方がピッタリくる。

 

次回は私がお江戸にいた頃のお話し。この頃から、公式アルバム全部+海賊版まで揃える程に、ディランフリークもどきになったわけであるが、そのきっかけになった曲は何だったのか?など、エピソードを交えて書いてみたい。

 

<11月30日の巻のtext>

僕が初めて「朝日のあたる家」を聴いたのはディランでもアニマルズでもなく、なんとビートルズのヴァージョンでした。といっても正規のリリースではなくスタジオセッションで確かジョンが歌っていたと思うが。レットイットビーの頃のスタジオでのセッション音源だったように記憶します。当時、ビートルズがアビーロードスタジオに入っていた時はその全てを(テープ廻しっぱなし状態)録音していたようです。すごいですね。

 

さてさて今回の木戸君コラムの前半で登場した「朝日あたる家」ですがディランやアニマルズのヴァージョンは皆さんも聴き飽きてる(失敬な)かと思いますので日本語の、しかも女子がカバーしたヴァージョンをいくつかピックアップしてみました。歌のバックグラウンドを相俟って女子が歌うとなかなかに壮絶な凄みみたいのがありますね。

珍ヴァージョンは百恵ちゃん。なにかのミュージカルの劇中歌のようですがこれは百恵ちゃんのキャラを壊さぬようなにやらソフティスケイトされた内容になってるのはご愛敬です。

 

                              ~looseムラヤマ~

 

 

 

みそかごと通信 2016年10月31日の巻

 〈私がボブ・ディラン・フリークになったいきさつ〉

 

ノーベル文学賞受賞?有無?で、何かと話題のボブ・ディランさん。以下、敬称略。

この機に乗じて、ディランの威を借る狐の如く、私がどのようにディランと関わってきたのか、何回かに分けて、振り返ってみたいと思う。詞の解説とか難しい講釈はディラン学者に任せておいて、私は私なりにどうディランを聴いてきたのか書いてみたい。

 

その1、中学生の頃

1978年、ボブ・ディラン初来日の年である。ディランを初めて意識して聴いたのは、この頃だった。ある日、ラジオから流れていたのは、アルバム「フリーホイーリン」より、「風に吹かれて」を含めて数曲、とても乾いた感じがした。しみったれた感情など入る余地のない純な感情を吐き出している、とでも表現すれば良いだろうか。しみったれた唄に馴れていた私には衝撃的だった。で、それからしばらくして、「ライク・ア・ローリング・ストーン」のスタジオテイクを聴いた時、これまた衝撃を受けた。大きな石の塊のような感覚、これぞロックだ!!と思った。

 

その後、初来日公演の模様を編集した「武道館ライブ」をFMラジオで聴いた。このライブ演奏では特に言葉がいっぱい詰まってる感があった。それと、あれ?この曲スタジオテイクとだいぶ違うなあ?知らなかった曲も、後になってオリジナルアルバムを聴いてみると、こんな曲だったんだ!と…。そう、それもそのはず、ディランはツアーごとにアレンジを変えてしまうのだ。今に至るまでこのスタイルは変わっていない。「風に吹かれて」だけで何通りのバージョンが存在するだろうか?ヒット曲は昔のアレンジでやるというのがほとんどのミュージシャンの常套手段であるが、彼はそうしたくないのだ。つまり、過去の自分、過去の栄光にすがりつきたくないのだろう。かっこ良く書きすぎので、別の言い方をすれば、多くのファンは昔のままのディランを期待するのであるが、常にそういった期待を裏切り続けてきた。そこがディランの真骨頂、エンターテイメント性であるといえる。いやぁ、評論家的な言い方になってしまった。

 

その当時から、洋楽聴いてる同級生が何人かいて、ビートルズ・ファンは多かった。私も好きだったが、アイデンティティーを高める為に、と言うより、あまのじゃくな性格の為、背伸びしてボブ・ディランのファンだということにしていた。その頃はまだ、ベスト盤「グレイテストヒット」の第一集と第二集、「フリーホイーリン」、「武道館ライブ」、あとはPPMが歌ったディランの曲をかじっている程度だった。知れば知るほどより深く知りたくなるのがボブ・ディラン。

 

次回は私が高校生だった頃のディランにまつわる思い出をエピソードを交えて書いてみたい。

 

 

<10月31日の巻のtext>

ちょうど先月にupしたムラヤマのブログで書いたんだけど僕が初めて動くボブディランを観たのがこの映画「パットギャレット&ビリーザキッド」。

監督は大好きなサムペキンパー。

ペキンパーの作品・・・というか、映画の中でもマイフェイバリットベストに入ってるのは「ワイルドバンチ」なんだけど。

この映画でビリーを演じたのはクリスクリストファーソン。なかなかに骨太な演技で傍若無人ながらも人間味溢れるビリーを好演。

対するパットにはジェームスコバーン。したたかなギャレットをこれまた好演。ビリーとのラストファイトのシーンは胸を打つ。

ディランはエイリアスという風来坊役。ちょっと狂言回し的な位置の若者。

なかなかに無口ながらも存在感ある演技を披露。

ディランが歌うタイトルテーマ、そしてあまりにも有名な天国の扉、映画の雰囲気を損なうことなく見事に歌い上げてますね。

後にビリーを題材にした西部劇「ヤングガン」(だったよね?)が作られたけど個人的にはこのペキンパー作品が好きなんですよね。

 

 

 

ミュージシャンが音楽を担当した西部劇といえばライクーダーが音楽担当した「ロングライダーズ」がありますね。これはムラヤマ的にオールドウエスタンのフェイバリットアウトローのジェイムズ&ヤンガーボーイズを取り上げた作品。監督はペキンパー直系のウォルターヒル。

西部劇というジャンルは既にアメリカ映画の中では消滅してしまっている感があるけれど日本の時代劇のようにもっともっと作ってほしいと思うのは贔屓の引き倒しだろうか?

 

 

 

みそかごと通信 2016年9月30日の巻

〈雨の唄〉

 

九月ともなれば、ついつい、セフテェンバー、レイン、レイン🎵「九月の雨」を口ずさんでしまう。ひとり雨だれは淋しすぎて🎵これも太田裕美だったな。

しかし、毎日のように雨ばっかで、気持ちまでうじうじしてしまう。「雨上がりの夜空に」のようにスカッとイキたい。

 

雨雨ふれふれ、母さんが、ジャノメでお迎え嬉しいな🎵何にもわからず生きて来たけれど、今でも何にもわかっちゃいない🎵泉谷しげる「白雪姫の毒リンゴ」より。

ジャノメの意味がわからなかった。ジャノメって、いったい何ジャノメ?

 

今は亡き、ジェイク小山さんの名曲「コールドレイン」が心にしみる。

ボブ・ディラン「激しい雨が降る」のリフレインが鳴り響く。

冷たく激しい雨は気持ちをリセットすることができるのだろうか?

君はそんな「雨を見たかい?」CCR。

 

 

<9月30日の巻のtext>

雨といえばこの歌、雨歌マイトップ10入りのrain。

ビートルズを聴き始めた当時はレコードに対訳詞カードなんて便利なものは入っていなかったので角川文庫版片岡義男訳詞のビートルズ詩集で読んだrainの歌詞はなかなかに衝撃的だった。惚れたはれたみたいなドラマとは無縁の内省的な歌詞(rainに限らずでしたが)は実に新鮮な刺激を与えてもらった覚えがあります。

 

雨歌ではないが秋雨前線を吹き飛ばすような「♪一晩中窓を叩くハードレイン♪」緊張感溢れる極上なロックナンバーも挙げておきましょう。the grooversのsweetheart of my soul!

 

                               ~looseむらやま~

 

 

みそかごと通信 2016年8月31日の巻

〈トーキング・ブルースとラップ〉

 

ウッディー・ガスリー/コロンビア・リバー・コレクションのライナーノートによると、トーキング・ブルースはラップと似ているが、街の落書きから起こったラップがコトバの断片をリズムに乗せノリを楽しむものであるのに対して、トーキング・ブルースは音楽というより落語であり、ハナシそのもので勝負するものである、とある。

トーキングブルースの創始者は誰か知らないが、世に広めた人はウッディー・ガスリーだろう。ガスリーズ・チルドレンであるボブ・ディランも初期の頃このスタイルを踏襲した作品を何作か世に出した。そして、その後も、トーキング・ブルースの影響がかなり出ているということができる。

大雑把に言ってしまえば、ラップは韻文詩で、トーキング・ブルースは散文詩である。

そういった意味でボブ・ディランの「サブタレニアン・ホームシック・ブルース」はラップのハシリであると言えるだろう。

トーキング・ブルースにしても、ラップにしても、英語が良くわからない私でも楽しめる不思議な魅力があるのは事実である。

 

〈8月31日の巻のtext〉

 

なるほど、こいつぁかっこいいね。

押韻詩のラップと散文詩のトーキングブルース、わかりやすい喩えだなぁ。

日本語のラップでも初期の頃は「なんだかよくわかんねぇけどリズムに合わせて言葉を唱える」みたいな安易なアプローチが多かったように感じる。「まずは形から」とばかりに当時世界を席巻しつつあったラップカルチャーに乗っかるようなフィーリン(わかりやすいもんね)だったのがやがて押韻という本質的なものに目が向けられるようになってきたよね。

パンクとかそうゆうもんもなんか当初はよくわからないけどなんかすごいことがおこってるみたいだぞ、と目に見える形だけを模倣しはじめるとゆうのが常であったが今のご時世情報の伝達が本当にリアルタイムになってきたのでそういった誤解曲解のラグが無くなってきているのは喜ばしいのかはたまたちょっと味気ないのか。

 

 

                            ~looseむらやま~

 

 

 

みそかごと通信 2016年7月31日の巻

〈夏といえば〉

 

夏真っ盛り。

夏といえば、毎年、期待ばかり膨らんで、エロい妄想ばかり膨らんで、そして、毎年、泉谷しげるの「ひねくれ子守唄」みたく期待外れに終わってしまう。「暑い夏はまた、空振りした」となってしまう。人の集まるところが好きで、夏祭り大好き。井上陽水に「夏祭り」という唄があるけど、ちょっと悲しい唄、「十年は一昔、ああ、暑い夏…」。

季節は違うけど、かぐや姫の「ひとりきり」も同じような歌詞。昔は楽しかったけど、もう、それに参加できないという、孤立感。里帰りすれば良いと思うけど、「シンシア」の歌詞みたいに、「目に映るものは時の流れだけ、心が砕けて行く」。ああ、「ねえさん先生、もういない。綺麗な先生、もういない。それでも、待ってる、夏休み」。

今月は70年代フォークに終始してしまいました。やっぱ、日本語はいいですね。

<7月31日の巻のtext>

 

なかなかにyoutubeで「かぐや姫」で検索かけると某ケータイ会社のCMばっか出てきちゃうってゆうのも時代なんだろうか。

フォークはギター弾き始める原点のひとつですが正直、木戸君や平井君達のように拓郎や泉谷を聴きまくったとゆう事はありませんでしたがかぐや姫は良く聴いたんでそのあたりは大体原体験に共通する何かを持ってるような気がします。

ひとりきりのアナログ音源を見つけたのでUPしときますが今聞くとベースラインがすごい印象的ですね。時代を感じさせるフィーリングがグッドです。

 

                         ~looseむらやま~

 

 

 

みそかごと通信 2016年6月30日の巻

〈丸メガネの人〉

 

昔の人物写真には洋の東西を問わず、やたらと丸メガネが多いような気がする。

と言っても、パッと思い浮かぶのはアンドレ・ジッドと滝廉太郎ぐらいだけど。

たぶん、丸いレンズがいちばん量産しやすかったのだろう。

また、丸メガネには牛乳ビンの底のようなレンズを付けたガリ勉タイプのイメージもある。

しかし、私にとって丸メガネを強烈に印象付けたのはこの人しかいない。

最初に丸メガネの人を見たのは兄が買ったLPレコード「ヘイ・ジュード」のジャケットだった。最初はそれほど、丸メガネの人や丸メガネに関心はなかった。

ある日、ラジオから流れる曲「イマジン」に感動して、レコードを買った。

アルバム「イマジン」のジャケット写真は丸メガネの人のイメージの典型だと思う。それほど、曲もスタイルもインパクトが強かった。この頃から、丸メガネの人は私のヒーローとなった。そんな折も折、なんと丸メガネの人が軽井沢に来ているらしいという噂を聞いた。残念ながら、コンサートでもないのに会いに行こうという発想はその頃なかった。悲しい事件が起きてしまう数年前だった。

丸メガネの人に憧れて、丸メガネを掛けたのは二十歳ぐらいだった。

フレームの名前はアビーロード。そのメガネはしばらくして酔っぱらってなくしてしまったが、今に至るまで丸メガネは愛用し続けている。他のフレームも色々試してはみるものの、結局、丸メガネに落ち着くようだ。

ナチュラルな形が顔にしっくりくるのか。それもあるが、それにもまして、丸メガネの人のイメージをずっと追い求め続けているようである。

 

 

<6月30日の巻のtext>

 

the beatlesの事を書き始めたら紙面が足りなくなってしまうので手身近に。

木戸君の本文中に挙げたアルバム「ヘイジュード」のジャケはビートルズとして最後に行われたフォトセッションの1枚だったと記憶するが。画像検索する元気がなかったので気になった方は個人個人ご確認いただきたい。代わりに「ヘイジュード」のプロモフィルムを挙げておきます。

僕が個人的に丸メガネの人を最初に見たのは(意識したのは)小学生の頃、当時中学生の兄が買ってきた角川版ビートルズ詩集(片岡義男さんが翻訳したやつだったか?)の表紙だと思う。

ちょうどサージェントアルバムを発表した頃の4人の写真が使われていたと思うが記憶は曖昧である。

取りあえずその頃の4人の映像も挙げておきます。

今年、ビートルズ来日50周年だそうである。

アニバーサリー商魂逞しいけどtvプログラムなどいろいろ放映してくれてファンとしてはウェルカムな感じである。

 

                            ~looseむらやま~

あと、このプロモーションビデオも意外と好きなので挙げておくね。

これ、めちゃ良くできてるんやよ。

みそかごと通信 2016年5月31日の巻

〈ラジカセ〉

 

ちょこっと楽器を練習したい時とか、いいメロディーが浮かんだ時とか、ラジカセがあると便利である。現代のCDラジカセにはほとんど付いてないが、一昔、否、二昔前のラジカセには内蔵マイクがついていた。しかも、けっこういい音で録れた。

ラジカセが出回る前、家庭用の小型のオープンリールがあった。テープレコーダーって呼んでいたかな。その頃の録音対象は主にテレビの歌番組だった。マイク録りなので、家族の会話が入ってしまった。まあ、それはそれで楽しめたけど。外部入力ジャックなどという概念はなかった。テープも絡まりやすく、よく切れたりした。

そんな状況もあり、ラジカセの出現は画期的だった。

最初はカセットテープレコーダーにラジオは付いてなかったと思う。

ラジオとカセットテープレコーダーがいっしょになってラジカセ。まるで、フォークロックみたいな造語だけど、言い得て妙である。

ラジカセの出現により、録音対象がテレビからラジオに移った。深夜放送を聴きながら、いつでも録音できるようにスタンバっていて、気になる曲が流れたら、すぐに録音ボタンを押した。今ではこのような使い方はしなくなったが、ラジカセを持っていて、たまに使っている。

 

 

<2016年5月31日の巻のtext>

 

当時は確かにラジオとカセットテープレコーダーって単体で売られてましたよね。

それがラジオと合体してラジカセになったって画期的なアイテムの登場ははなかなかに思い出深いなぁ。

中学に進学してラジカセ買ってもらったなぁ。いまどきのフィーリングだとスマホとか買ってもらうってパターンかな?まだまだレコード全盛時代、兄の高価なステレオセットはなかなかいじらせてもらえなかったしレコードも貴重だったから(中学生にとっては高額だ)カセットテープに録音してそれこそ擦り切れる(いや伸び伸びになる、か)まで聴いたもんです。

ネットも無い時代、最高の娯楽はやはりレコードやラジオエアチェックで録音した音楽だったなぁ。当時聴いた音楽はやはり身体(とゆうか記憶の中か)に沁み込んでる。

 

需要がないだろうからヒットしないだろうと思いyoutubeで検索したらカセットテープのCMってジャンルがしっかりとあってびっくり。さすが「無いものは無い」ネット社会だ。

懐かしいCMがたくさん挙がっていた中で比較的新しいCMながら個人的に印象残っているものをtextしてみた。おおたか静流さんの唄う「花」がいい感じでした。

 

 

                         ~looseむらやま~

 

 

みそかごと通信 2016年4月30日の巻

〈モッズって何?〉

 

ビートルズ、アメリカ公演の記者会見で「モッズですか?ロッカーズですか?」という質問に対して、リンゴスターが「モッカ!!」と駄洒落をかましたは痛快だった。

モッズといって、思い浮かぶのは、三つボタンスーツ、パーカー?、モッズヘアー(どんなん?)、スクーター、ロゴマーク(赤丸)ぐらいだろうか。実際、よく知らない。でも、あの当時、60年代前半頃は皆モッズファッションで、ボブ・ディランも三つボタンスーツ着ていた。

さて、話は80年代後半頃までくだるが、当時、私は学生でお江戸に住んでいた。

そこに中学の同窓生で音楽仲間のハシヤンが訪ねてきて、渋谷や原宿に連れ回されて、何処へ行くのかと思ったら、古着屋である。その頃、彼はモッズバンド「ザ・フー」にかぶれていた。古着屋で三つボタン四つボタンスーツを漁りまくったのである。

テクノ全盛の頃で、肩パットが入ったようなダブダブなスーツが出回っていた。床屋で黙っていたら、テクノカットにされてしまったことがある。

当時、流行っていたファッションが好きでなかったし、流行り歌には耳をふさぎ、ひたすら60年代とか、それ以前の古い音源を聴いていた。そんな状況もあり、ハシヤンの影響もあり、私も三つボタン四つボタンスーツを探した。で、当時としては珍しく、古着でなく、新品の三つボタンジャケットがあったので、購入した。肩幅はちょい広めでだぶつき感はあったがモノクロトーンでカッコいいと思った。

しかし、こだわりは大事だが、モッズでもロッカーズでもモッカでも、結局、とどのつまり、どうでもいいと思う。

考えがまとまらなくなってきた。スケさん、カクさん、もういいでしょう!!

<2016年4月30日の巻のtext>

 

あの「フォークの神様」ボブディランもチェルシーブーツにタイトスーツという装いの時代である。

スーツをいかにタイトに仕立てるか、ジーンズだって履いたままバスタブに浸かりそのまま自分の身体にフィットさせるという描写が映画「さらば青春の光」にも描かれていた。

労働者階級のハミダシ若者の、どこに発散させたらよいのかわからないストレスがロッカーズとモッズの抗争になっていったと思う。

モッズという言葉は現代ではファッションスタイルとして世間には認知されているようだ。

しかしモッズカルチャーが生まれた英国のどこか荒んだ時代(というか社会か?)背景とは異なる現在日本ではホワイトアスパラのような若者達のノスタルジックな60年代絵巻的装いにすり替えられてしまっている。当時のニュースフィルムなど見ても本家英国モダニスト達は相当に荒くれのヤバい奴らである。

木戸君からモッズなとという単語が出てきてちょっとびっくりだがなかなかに今回も興味深いお話を聞く事が出来た。

モッズという事で一応ベタではあるがthe whoの動画を挙げさせていただいた。

初期のライブ映像は今観てもなかなかにエキサイティングである。

the whoはモッズの代名詞になっているが当の本人達は最初はお仕着せのモッズスタイルでデビューさせられたようだがそのあたりは80年代にモッズリバイバルの先駆けとなった映画「さらば青春の光」の礎を築いた功績に免じてノークレームでお願いしたい。

青春ノークレームノーリターンである。

映画「さらば青春の光」にインスパイアされた加藤ひさし率いる日本が誇るモッズバンドthe collectors。正直、僕はモッズというものを認識したのはthe collectorsに出会ってからである。当時、まさにテクノやら軽薄短小な音楽が幅を利かせていた音楽シーンでなかなかにまじめに60年代を自分流に消化してリブートさせていたスタイルにノックアウトされたのだ。

自分達のルーツミュージックをただコピーするのではなくそのフレイバーを活かした楽曲音像を創り上げるというスタイルはまさに当時の僕が求めていたものだったから。

メジャーデビューアルバムではレコード会社の意向で自分達の求める音を思うように追求できなかった彼らが2ndアルバムで溜まったフラストレーションを吐き出した。2ndは今でも好きなアルバムの1枚である。

自分も加藤君と同じ、いわばリアルモッドでなくネオモッズ世代であるがモッズという言葉に思い入れが深いのでついつい長く(木戸君の本編より)語ってしまった。

木戸イストの皆さん、ご勘弁を。

 

                        ~looseむらやま~

 

 

みそかごと通信 2016年3月31日の巻

 〈12弦ギター〉

 

結婚披露宴の余興では12弦ギターを使うことが多い。二本一組の弦がそれぞれオクターブやユニゾンで共鳴し合う構造上、結婚に相応しいと思うので。

ステージでも12弦ギターを使いたくなることがある。

きらびやかな音にどうしても魅せられてしまうのである。

6弦ギターと12弦ギターとでは弾き方を変えなければならない。

わかっちゃいるけど変えられない。

12弦ギターの名手といえば、まずレッドベリーの名前が挙げられる。

輸入教則本によると、太い弦を張ってチューニングは下げてあると書いてある。

あの重厚な低音の秘密がこれにあったのかと納得した。

実はレッドベリーにあやかって太い弦を張ってチューニングを下げてみようと企んだことがある。老舗の楽器屋に訊いてみたが、そんなセット弦は置いてないし知らないと言われた。

けれども、親切にも弦の太さを計算してメモ紙に書いてくれた。

それに基づいて弦を揃えてみたが、上手くいかない。そのうち、めんどくさくなって、どうでもよくなった。結局、売ってるセット弦で間に合わせるようになった。その方が、弾き方を変えられない性質上、都合がよかった。

わかっちゃいるけど変えられない。

 

 

<2016年3月31日の巻のtext>

 

レッドベリーの12弦ギターネタにも関わらず12弦エレクトリックギターのthe byrdsとは些か捻くれたセレクトではあるが個人的にthe byrdsには思い入れが大きいのでご容赦いただきたい。

「フォークの神様」ボブディランの作品をエレクトリックギターでリブートさせたデビューヒットで話題になったthe byrdsではあるがエレクトリックサウンド→スタジオギミック→サイケを経てカントリーロックへと移行していくのはなかなかに興味深い。

 

                             ~looseむらやま~

 

 

みそかごと通信 2016年2月29日の巻

〈コーヒーの想い出〉

 

おんなじブレンドコーヒーでも家で飲むのと喫茶店で飲むのとどうしてこんなに味が違うんだろう?よくそう思ったものだ。高校時代、喫茶店にて、読書したり、友と人生論を語ったり、あの頃のコーヒーの味は格別だった。コーヒー1杯で何時間も粘れたし、時には喫茶店の梯子をしたりした。

 

80年代中頃、たまたまラジオから西田佐知子さんのコーヒールンバが流れていたのを聴いた。いい曲だと思ってラジカセの録音ボタンをすかさず押した。歌詞をチェックしたら…モカマタリなるコーヒー豆が気になって、少々高いが買ってきて飲んでみた。ブレンド豆とは違い、本当に恋をしそうな妖艶な味がした。

余談ではあるが、この曲コーヒールンバを密かにレパートリーにしていて、いつか発表してやろうと企んでいたのであるが、数年後、井上陽水さんに先にやられてしまった。尊敬する陽水さんと狙いが同じだったことを嬉しくも思った。

 

コーヒーの思い出はまだまだ尽きないのではあるが、文才がないし、ズクもないのでこんなところで止める。言うまでもないが、今でもカフェイン中毒にならんばかりにコーヒーを飲んでいる。

 

 

<2016年2月29日の巻のtext>

幼少の頃、tvドラマ「怪奇大作戦」の劇中で岸田森さん扮する牧が煙突の如く煙草の煙を吐き出しコーヒーをいつも飲んでいたのを見て大人の男→煙草とコーヒーというのが刷り込まれてしまった。その影響かどうか小学生の頃から「大人の真似」してコーヒーはブラックだったという変にマセたガキだった。その後、コーラやファンタしかなかった缶飲料業界で缶に入った珈琲が自販機に並んだのをみてちょっとしたカルチャーショックを覚えた。

70年代80年代、喫茶店では一般的なブレンドからはじまりブルマン、キリマン、モカといった酸味系の珈琲が全盛期だった。アメリカンには目もくれず、酸味系の珈琲を好んだ。欧米のカフェ文化やカフェボヘミアを気取るわけではないが喫茶店で独り読書や物書きなど過ごす時間は好きだった。

その後、ファミレスのボトムレスの珈琲サービスに押され喫茶店という文化は絶滅危惧種になったといえる。

20世紀末頃、スタバが東京で猛威をふるい始めた頃に上京時に入店してなかなかに居心地の良い空間にびっくりした。日本の喫茶店ではなく紛れもない米国カフェという空間だった。

あれよあれよという間に欧米スタイルのカフェという空間サービスが定着して現在に至るが今のカフェと当時の喫茶店ではやはり持っていたフィーリングは違うと思う。

珈琲はいまやコンビニでもレギュラー仕立ての珈琲を供するほどに一般的な飲み物になっている。

しかし世のメインストリームはいわゆるスタバ系の深いローストの風味。

個人的に深煎りの豆の珈琲は大好きだがたまには70年代80年代に慣れ親しんだ酸味の強い「美味しい」珈琲をのんでみたいものだ。

かく言う自分も木戸君同様カフェイン中毒患者といえるくらい毎日珈琲を飲んでいる。

 

前置きがすっかり長くなってしまった。

今回のtextはちょっとひねりを効かせてオリジナル版ではなくキーボード奏者で数々のセッションに参加してる小林"mimi”泉美さんのカバーバージョンのコーヒールンバをチョイス。

些か捻くれた選曲ではあるが個人的にこのバージョンでコーヒールンバを知ったので。82年当時の空気感が詰め込まれたアレンジだが今聴いてもなかなかに新鮮である。

まさにコーヒールンバではなくcoffe rumbaという感じだろうか。

 

                              ~looseむらやま~

 

 

みそかごと通信 2016年1月31日の巻

〈ジャグバンド〉

 

大きな瓶(ジャグ)や洗濯板、カズー、箒と洗濯たらいなど、高価な楽器が買えなくても、このようなそこら辺にある日用雑貨を使ってでも、とにかくバンドがやりたい。といった手軽さが、ブルースの一形態であるジャグバンドにはあった。比較的裕福なジャズバンドに対抗した表現形態だろう。私は研究者でなくボロがでそうなので説明はこの辺で止めとく。

 

拙作、1stアルバム仮出所のボーナステイク「松本ぎゃるず」(1994年のヒライとのセッション)はジャグバンドの雰囲気を出そうとしたものである。この時はジャグならぬヤカン、楽器屋でなく金物屋で仕入れた洗濯板を使用した。本場の雰囲気というより、表現の手軽さでアドリブをつけやすく、録音中、お互いのやりとりが可笑しくて何度も吹き出しそうになった。

 

60年代フォークリバイバル・ムーブメントでジャグバンドはいくつか存在したが、中でも「ジム・クエスキン・ジャグバンド」の功績は大きい。紅一点マリア・マルダーのボーカルは艶っぽくて私は好きである。

今年も艶っぽくいきましょう!

 

 

<2016年1月31日の巻のtext>

こうゆうスタイルは僕自身大好きなので今後、木戸君と何かこんな感じのジャグフィーリングなスタイルでコラボできたら面白いな。

youtubeで検索してみたらいろんな音源がヒットしたんだけどスティーリンは憂歌団のバージョンで慣れ親しんでいたので今回のtextはこの映像をアップしておきます。

 

                                 ~looseむらやま~