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officeQにゆかりの深い仲間による連載コラム、始めました。

トップバッターは例のあの歌、そう、連結ブルースでお馴染みの木戸啓二郎君!

トラッドミュージックから大正歌謡まで幅広いレパートリーを持ち、酒を愛し、日々スケベ修行を怠らない木戸君の密やかな愉しみや想い事の一端をこっそりと覗かせてもらいましょう。

名付けて「木戸啓二郎:みそかごと通信」!

毎月末に更新していきます。

お楽しみに!

 

不定期に更新される木戸啓二郎のオフィシャルHPはこちら!

さぁ、ショータイムの始まりだぜ。

http://ip.tosp.co.jp/i.asp?i=kido_keijirou

 

 

 

 

 

木戸啓次郎:みそかごと通信 2015年12月31日の巻

 〈トピカルソング〉

トピカルソングとは新聞記事になるようなトピックを題材にして作った曲をいう。

思い浮かぶのはボブディランの「ハッティーキャロルの悲しい死」だ。

この歌は人種差別に抗議するプロテストソングでもある。

ディランほど素晴らしい歌はできないが、私にもいつかトピカルソングが書けないものかと、新聞記事を拾い読んで、密かに企んでいる。

ここに掲載してしまったら密かではない(笑)。が…簡単に書けそうもない。

まあ、期待している人もいないと思うし、来年も気長にやって行こうと思う。

 

それでは、良いお年を!

 

<2015年12月31日の巻のtext>

トピカルソングと呼べるかわからないが最近はそんな感じのナンバーも唄ってる。

惚れたはれたやNO!を突き付けるようなフィーリングだけでは生きていけない世の中だ。

せめて僕も自分を救済するために歌おう。

 

それではよいお年を!

                            <LOOSEムラヤマ>

 

 

木戸啓次郎:みそかごと通信 2015年11月30日の巻

〈アントワーヌ・レイスさんのツイッター〉

信濃毎日新聞に掲載されたアントワーヌ・レイスさんのツイッターの記事に感動し、目頭がアツくなってしまった。

「掛け替えのない人を、最愛の人を、息子の母親を君たちは奪った。でも君たちを憎まない」。レイスさんはパリ同時多発テロで奥さんを失った。

さらにこう書かれていた。「憎しみという贈り物を君たちにはあげない。怒りで応じてしまったら、君たちと同じ、まさに無知に屈することになるんだ」と。

この人の言ってることは正しいし、何よりも、この人は素晴らしい人だと思った。



<2015年11月30日の巻のtext>

こちらはライブの音源のようです。

                       

                                <looseむらやま>


 

木戸啓次郎:みそかごと通信 2015年10月31日の巻

 〈アコースティックギターの鳴り〉

アコースティックギターの響きが良くて、何度も聴いちゃうLPレコードがある。山崎ハコのファーストライブである。写真を見るとギルドの大きめのギターを使っている。前半は弾き語りで後半はミニバンドという構成である。

ハコさんのギターテクニック、ギターの鳴り、録音技術が良いせいだと思うが、なんでこんなに音いいの?って感じ。ギターホールからホール全体の雰囲気が伝わってくる感じ。小さい穴から大きい穴の感じが伝わるって感じ。前々回みたく表現が卑猥になってきたなあ…。


同じ生ギターでも、尻の穴にジャックを挿入してヒモで繋いでアンプから出すと、どうしてもちゃちい音になってしまう。

やはり、生ギター大穴マイク拾い、しかも、ギター本体の鳴りが良くないとこういうワイドな感覚は味わえないと思う。


<2015年10月31日の巻のtext>

こちらは1979年のスタジオライブの音源のようです。

僕はハコさん通過しなかったからまじまじ聴くのは初めてやけど今聴いてもいい感じやね。

女子SSW、リスペクトです。

こんだ木戸君の家でレコード聴かせてもらおうっと。


                        

                                <looseむらやま>

 


 

木戸啓二郎:みそかごと通信 2015年9月30日の巻

 〈反戦歌〉

70年代の学生運動以来、反戦歌はながらく廃れたような存在になっていた。しかし、それが今脚光を浴びようとしているのかもしれない。

安保法を戦争法といって危惧するのは決して大袈裟なことではないと思う。現在の状況は戦前の雰囲気に似ているのかもしれない。

RCサクセションのアルバム「カバーズ」には反戦歌の名曲が入っている。こんな時代にこそ聴いてほしい一枚である。

反戦運動が特に若者たちに広まってきたことは救いである。戦争反対の世論が高まって、安保法が廃止になることを望む。

 

<2015年9月30日の巻のtext>

唄を聴いてもらいましょう!



                               <looseむらやま>



木戸啓二郎:みそかごと通信 2015年8月31日の巻

 

〈ボタンとつまみ〉

オーディオとか自転車とかのボタン(スイッチ?)やつまみ(ダイヤル)、レバーなどをいじるのが好きだった。いじるという行為自体に執着した。

70年代、方向指示機とかライトとかやたらと派手で実用性以上に無駄な機能の付いた自転車が流行った。単一電池が8コも必要だった。単なる子供騙しと言ってしまえばそれまでだが、遊び心重視と言えなくもない。

最近の自動車にも大人を喜ばせる装置(大人騙し?)が色々付いていて飽きない。

ハンドルに付いている押しボタンはテレビアニメ「マッハGO-GO-GO-」を彷彿とさる。

ジャンプしたり、木を切ったり、ツバメを飛ばしたり…できなくても、あの頃夢見た感覚が蘇る。

なんだかんだ言っても結局、男は(女も?)ボタンやつまみ、レバーなど色々いじるのが好きなようである。

エロチックな深層心理だろうか。

<2015年8月31日の巻のtext>

幼少期、心を震わせたのはこんなアニメだったね。

無駄に並んだスイッチやボタン操作で繰り出される秘密メカにシビれたもんだよ。

しかし今観るとコースレースなんだかラリーなんだかよくわからない設定であるが幼少期は何の疑問も抱かずに観ていたなぁ。


家電でもなんでもそうだが確かにボタンやツマミやレバーなんかを弄るのは一種の楽しみであったが今ではリモコンでピッポッパだったり画面を指でスイスイとなぞるだけなんてなんだかさみしい感じである。


因みに上はオリジナルのマッハGO!GO!GO!のテーマ。

下はTHE COLLECTORSが数年前にカバーしたバージョンだがこのカバーバージョン、めちゃかっこいいな。オリジナルに対するリスペクト感が溢れとるな。

                             

 

                                <looseむらやま>



木戸啓二郎:みそかごと通信 2015年7月31日の巻

〈アンテナ〉

アンテナ建てるのが趣味だった。家が谷間にあったので受信状況が悪かった。

FM用の野外アンテナを購入し、東京の方角に向けて建てた。FM東京を受信する為である。

ステレオでなければけっこういい音で聞こえた。

当時、地元のFM局はNHKしかなかったので、密かに悦に入っていた。

「小室等の音楽夜話」なる番組をよくエアチェックしたものだ。


それだけ苦労して受信したのだが、ある日、小高い丘の上でチューニングをFM東京に合わせたら、昼間でも簡単に受信できた。

ラジカセの内臓アンテナで充分だった。そんなものである。

<2015年7月31日の巻のtext>

僕自身はラヂヲを聴く習慣はあまりなかったのでこの番組の事は良く知らない。

youtubeで検索したら木戸君が敬愛する吉田拓郎氏がゲスト出演した回の同番組がupされていた。

viva!youtube!

恐らくは当時の木戸少年も聴いたであろう番組をお楽しみください。

                             

 

                                <looseむらやま>

 

 

 

木戸啓二郎:みそかごと通信 2015年6月30日の巻

〈レコードからCDへ〉

80年代後半だったろうか。トワエモアの歌じゃないけど、ある日突然、国内盤レコード店の展示品がアナログレコードからCDに一斉に取って代わってしまった。

「電気メーカーと結託しやがったな…」当時、苦々しく感じたのは私だけじゃないだろう。


そうなる少し前、ウディガスリーのCD「コロンビア・リバー・コレクション」が国内盤で発売された。当時、ウディガスリーは輸入盤でも入手困難な状況にあり、喉から手が出てしまった。これも電気メーカー&レコード会社の戦略だったのか。


CDプレイヤーを手放したばかりだったので、しばらくはジャケット、ライナーノートを眺めて過ごした。が…結局その後、術中にはまり、再びCDプレイヤーを買う羽目になってしまったことは言うまでもない。

<2015年6月30日の巻のtext>

僕はCDがレコード屋の棚を席捲してからもなおアナログレコードを買い続けた。当時、新譜はアナログとCDのダブルリリースだったけどアナログ盤を買っていた。あのサイズのジャケットが好きだったんだ。だからその後、アナログ盤リリースの無い新譜が出てきてしまいしょうがなくCDプレイヤーを導入したっけなぁ。聴けなくなってしまったアナログ盤が相当数手元にあるからいつか木戸君に贈呈しようと思う。

今回のtextにはウディガスリーのラジオ出演時の音源を採用。スクラッチノイズの効いた音源でお楽しみください。                              


                                <looseむらやま>


 


木戸啓二郎:みそかごと通信 2015年5月31日の巻

 〈後朝の歌〉

きぬぎぬと読み、衣衣とも書く。平安貴族がエッチした翌朝に読んだ歌のやりとりのことを云う。

しかし、平安貴族のスケベ修行は大したもんだねえ、しかもマメだ。現代人でも、後朝メールなどすることはあるだろうけど。ズクなしのおいらも見習わなきゃなあ、モテるために。

そういえば、ディランの「One Too Many Mornings」(いつもの朝に)という曲に「ひとつだけ多すぎる朝と 1千マイルを後ろにしてきた」という歌詞があるけど、これって、後朝の歌と言えないだろうか?



<2015年5月31日の巻のtext>

後朝、良い言葉やね。木戸君のブログタイトルの「みそかごと」は密事(つまり平安時代の貴族のエッチ事)、それに毎月晦日に更新するんで晦日毎(に更新するよ)という2つの意味をかけたダブルミーニングなんですね。そんな言葉にマッチしたかのようなタイトルとテーマでしたね。

木戸君の引きだしの多さに脱帽です。

そんな訳で本家ボブディランの「いつもの朝に」、ライヴバージョンでお楽しみください。



                              <looseむらやま>


木戸啓二郎:みそかごと通信 2015年4月30日の巻

 〈みんな年上〉

ついこないだまでは、みんな年上だった。


ビートルズやボブディランがデビューした年齢に達した時、「俺ももうこんな年か、年とったもんじゃのう!」と思ったもんだ。


そうこうしているうちに、ジミヘンやジャニス、ブライアンが亡くなった年齢に達し、あっという間に、ジョンレノン、プレスリーが生きていた年齢を越してしまった。


ヒーロー達よりも長く生きているということが不思議な感覚だけれども、だからといって、賢くなれたわけでもなく、ただ長く生きているというだけである。


ヒーロー達はいつまでたってもおいらにとって年上の存在なのである。 

 

<2015年4月30日の巻のtext>

あまりに捻りの無い選曲で恐縮だが木戸君のヒーローの1人、ボブディラン。

木戸君との出逢いは平井君のプライベートスタジオで行なわれた木戸啓二郎ライブだった。

その時の印象は強烈でその時に聴いた「多摩ニュータウン」はマイフェイバリットソングの1曲だ。

そうゆう意味では木戸啓二郎は僕にとってのヒーローの1人であると云えよう。



                                <looseむらやま> 


   

木戸啓二郎:みそかごと通信 2015年3月31日の巻

 〈バブル期の四畳半物件〉

学生時代に一度引っ越しをした。一昔前のビンボー学生の暮らしにある種の憧れを抱いていた私は生活レベルを落とすべく安い物件を探した。要は浮いた金で酒でも飲もうと企んだのである。

中央線沿線が昔っぽい雰囲気を醸し出していたので国分寺で探した。最初に寄った不動産屋で

「二万円以下のアパートないか?」と訊いたら…

「そんな物件、今時あるわけゃない。考え方改めた方がいい。」とめたくそにこかれた。

違う意味で考え方を改めて、学生が立ち寄りそうな不動産屋に寄ってみたら…あるんだねこれが。

月18000円、四畳半、裸電球、トイレ共同、プロパンガス、水道あり、というのが。銭湯は歩いて10分ぐらいの所に二軒あった。正に四畳半フォークの世界。

しかし、そうこうしているうちに、なぜか気持ちはどんどん萎んでいってしまった。二年ぐらい住んだけど、夏の暑さに耐えきれず、田舎に帰ってしまった。



<2015年3月31日の巻のtext>

あまりに捻りの無い選曲で申し訳ないが定番のかぐや姫「神田川」。

四畳半フォークというと恐らくは100人が100人、この曲の名を挙げるだろう(うちら世代限定)。

当時、テープが伸びる位に良く聴いてたが今改めて聴くと「あなたとあたし」が暮らしていた下宿の部屋は3畳一間だったのね。

四畳半ちゃうやんか!なんで気付かなへんかったんやろ?


社会現象?流行語的?に発生した同棲って言葉になにやら陰湿で背徳的な響きを感じたけど今ではなんやらあっけらかんとしたフィーリングの言葉になってしまったね。

できるものなら今、やってみたいな、同棲。

なんか楽しそうな感じがするよ。

言葉って時代と共に変わって行くもんだぁね。

 

                                  (looseムラヤマ)

 

 

木戸啓二郎:みそかごと通信 2015年2月28日の巻

〈本末転倒〉

なぜか、また四字熟語になってしまう。

本来の目的(趣旨)とは違う二次的な事柄が主役になってしまう事って多々ある。

例えば読書。読書それ自体を楽しむあるいは知識を得るのが目的なのに、シリーズ物など買い揃えることが目的になってしまう。本棚に並べては一人悦に入っている。

まあ、それはそれで良しとしよう。

で、何を言いたいのかといえば…


イクことだけを目的にせず、行為自体(途中経過)を楽しみたいものだということかな??

今回は強引に結論づけてしまった。

 

<2015年2月28日の巻のTEXT>

栄養摂取や健康に気を遣うとゆう目的だけの為だけに食べていてもおもしろくないですよね。

食べるという行為は生きる喜びの象徴といえるのかもしれませんね。


優柔不断のバツ3男、柿野が或る日出逢った謎の美女、それはたべるダケの女。



                                (looseむらやま)



木戸啓二郎:みそかごと通信 2015年1月31日の巻

<因果応報⑤〉


その時、私は同級生だけでなく、同級生の親御さん方にも恥をさらけ出してしまった。

また、母にも肩身の狭い思いをさせてしまった。

 

というわけで、この件の作文を書いたのは今回が三度目ということになる。今回タイトルを「因果応報」としたのにはもう一つの理由(オチ)がある。

 

何の因果か、私は現在トラックを運転して荷物を運ぶことを生業としている。もっとも、子供達から石を投げつけられたことはまだないが…。

 

これで、このお話はおしまい。最後まで読んでくれて、ありがとう!

 

また、今年もよろしく!!


<2015年1月31日の巻のtext>

トラックで物を運ぶのを生業にしてるっつったらやっぱこの方は外せないでしょう!

ご冥福をお祈りします。

合掌。

 

                                                                                             (looseむらやま)


 

木戸啓二郎:みそかごと通信 2014年12月31日の巻

〈因果応報④〉


「歩道橋から石を落としたんだね!」

私は口ごもってしまった。

「他の二人とやったんだね!」

「いいえ、僕一人でやったんです」

「お母さん、正直に手を上げたんだから、どうか、あまり叱らないでください」

私は口をつぐんだ。

罰金数万円を払い、この事件は一応決着した。

しかし、この話はこれで終わりではない。

小学校三年生の頃、作文を書かせられた。私は「あやまろうか、逃げようか」というタイトルでこの事件に関する告白を書き綴った。それから何日か後に授業参観があり、教師は件の作文のタイトルリストを配って読んでほしいものがあるか訊いた。センスのいいタイトルを付けたせいか、私の作文が真っ先に指名されてしまった。またしても、私は観念した。

 

いよいよ、来月号でこの実話は最終回です。

引っ張るね!では、皆さん、よいお年を!!

<2014年12月31日の巻のtext>

~youtubeより~

デビッドクローネンバーグ監督の映画「crash」。

自動車事故に性的興奮を覚えてしまう人達が織りなす最高にエロティックで最高にクレージーな作品。

このぶっとび作品、寧ろ好きなので本文に倣って引き続きしつこく紹介。


                                  (looseむらやま)



木戸啓二郎:みそかごと通信 2014年11月30日の巻

<因果応報③>

 

「とんでもないことをしでかしてしまった。見つかったらやばいことになる!」

私は全速力で恐怖から逃げ帰った。

家に帰ってもこの恐怖からは逃げ切れなかった。

テレビをつけてもまるで上の空だった。罪悪感や後悔の念というよりも、本能的な恐怖が私の心を占領してしまった。

 

そのうちに私はアイスクリームが食べたくなった。

国道の向こう側にあるスーパーに買い求めに行こうとした。

いつもなら車通らなくなるのを見計らって

渡るのだが、その日に限って何故か手を挙げてしまったのだ。

運命のいたずらである。たまたま通りかかった車が件のトラックだった。

フロントガラスの割れた件のトラックは国道を引き返して来たのだった。

トラックは道路脇に停車し、私は観念した。

 

 

つづく・・・


<2014年11月30日の巻のtext>

~youtubeより~

デビッドクローネンバーグ監督の映画「crash」。

自動車事故に性的興奮を覚えてしまう人達が織りなす最高にエロティックで最高にクレージーな作品。

このぶっとび作品、意外と嫌いでは無いので先月に引き続きしつこく紹介。


                                  (looseむらやま)

 

 

木戸啓二郎:みそかごと通信 2014年10月31日の巻

〈因果応報②〉


「ガシャーン!」

「しまった!」

トラックは歩道橋から30メートルぐらい行った脇に止まった。

後悔の念の後、担任教師の教えが浮かんだ。

「悪いことをしたら謝らなければいけない」

私は無邪気にもこの教えを実践すべく、二人の友に打ち明けた。彼らもこの危険なゲームに参加した共同責任を自覚し、付いてきてくれた。

歩道橋を渡り、謝りに行くはずだった。

私たちは歩道橋の手すりの影に隠れて、恐る恐る運転手の様子を窺った。

どうやら怪我は無さそうだ。フロントガラスはかなり(イって)しまったようで、破片が飛び散っている。歩道橋の途中まで様子を窺いながら屈んで歩いた。

運転手はこちらに気付いたらしい。その時、私はすっかり怖じ気づいてしまった。

しばらく躊躇していたが、結局、私はそこから逃げ出してしまった。

友人達もいっしょに逃げ出した。

私たちは別々の道のりで家に逃げ帰った。

<2014年10月31日の巻のtext>

~youtubeより~

デビッドクローネンバーグ監督の映画「crash」。

自動車事故に性的興奮を覚えてしまう人達が織りなす最高にエロティックで最高にクレージーな作品。このぶっとび作品、意外と嫌いでは無い。

 

                                  (looseむらやま)

 

木戸啓二郎:みそかごと通信 2014年9月30日の巻

 

〈因果応報①〉

 

大学で「犯罪心理学」を受講した。そこで「私が犯した犯罪」という課題レポートの提出を求められた。この拙文はその時のレポートを加筆修正したものである。

 

あれは小学一年の夏休みだった。その日、友達二人と私の家から国道を西へ2キロほど行った歩道橋の近くで小石を投げて遊んでいた。最初は向こう側の土手の標的めがけてコントロールを競い合っていたのだが、そのうちそれに飽きたらず、向こう側車線を走るトラックのタイヤに標的をかえた。子供は遊びの発明家だが、大人が見て危険な遊びでも平然とやってしまうものである。

 

「へへん、おいらが一番。六発目と」

 

「いいや、おらはもう七発だ。おらが一番」

 

「ちきしょう、おらだって負けないぞ。三発目と」

 

そして、事件が行った。私が投げた石がトラックのタイヤならぬフロントガラスに当たってしまったのだ。… 

 

つづく

<2014年9月30日の巻のtext>

~youtubeより~

スティーブンスピルバーグの映画「激突!」

 

木戸少年の運命や、如何に!

please back!!!

 

                                  (looseむらやま)

 

木戸啓二郎:みそかごと通信 2014年8月31日の巻

 

<止まらない汽車〉 

 

保育園に通っていた頃、はじめて覚えた歌謡曲がこれだったと記憶する。遊具をこぎながらよく友達と唄ったものだ。

「止まらない汽車」は中山千夏さんのヒット曲で、作詞中山千夏、作曲都倉俊一であった。三年ほど前、通信販売でCDを手に入れ、四十うん年ぶりに聴いてみると…記憶していたより、チンポじゃなくてテンポが遅い。おそらく、テレビでの生演奏は番組によっては(まき?)が入っていたのではないかと思う。それで、記憶ではだいぶ早くなってるんじゃないか。

それはともかく、記憶に残るインパクトのあるフレーズだったことは確かである。

 

<2014年8月31日の巻のtext>

中山千夏/とまらない汽車

 

~youtubeより~

 

とまらない汽車を探したらシングル曲のカップリングだったというZenZenブルースという曲を見つけた。タイトルに惹かれて視聴してみた。曲の導入部はまったくブルースじゃなよ?と思いながら聴き進めていくとサビにきてまさかのブルーズチェンジ。最終的になんともカオスな仕上がりになって終了。当時としてはかなりの冒険mixだったのではないだろうか?音楽業界的な当時の評価が気になるところだ(担当のレコード会社の人とか)。


                                  (looseむらやま)

 

 

 

木戸啓二郎:みそかごと通信 2014年7月31日の巻

<挑戦状④〉 

 

一曲目の演奏「喜びの唄」が終わった後、バシリクスのメンバーにステージ前まで出てきてもらった。相棒のヒライが挑戦状を読み上げた。 

 

 

「挑戦状 バシリクス殿」  

こないだは俺のハートを 

けちょんけちょんにぶちのめしてくれて、どうもありがとう。 

素直に敗北を認める。 

おかげで、再起不能の状態に陥り、そして、復活することができた。 

木戸のケイちゃんをナメたらあかんぜよ!! 

特にそこのおネェちゃん!! 

カウンターパンチかましてやるから、覚悟しといてくれ。 

逃げたらあかんぜよ!! 

 

さて、いよいよ生本番。歌声は朝の練習とは違い、特に何かに憑かれているふうではなかった。たぶん、音響が違うせいだろう。まずまずの出来だった。 

 

結果は?奇襲攻撃が効力を発した。

打ち上げの時に相手に無理矢理「負け」を認めさせてしまった。 

 

これで、挑戦状の話はおしまい。

 

<2014年7月31日の巻のtext>

浅川マキ:朝日の当たる家(House of the Rising Sun)

 

~youtubeより~

 

                                 (looseむらやま)

 

木戸啓二郎:みそかごと通信 2014年6月30日の巻

 

〈挑戦状③〉

 

相棒のヒライにも伝えてない作戦があった。敵を欺くにはまず味方から…というよりも、その方が面白いと思った。一つは「朝日のあたる家」は最初、英語で唄うことになっていたが、前日に良い訳詞が出来たので、日本語に替えたこと。もう一つは「挑戦状」をヒライに読み上げてもらうことだった。内容もいっさい明かしてなかった。 

 

インディアにはバシリクスより早く着いた。巌流島の戦いのごとく、必ずしも遅れて来た者が勝利するとは限らない。我々のほうが出番が先だったので先に着いて当然である。

そんなことより、挑戦状を受け取ってくれるかどうかすらまだわかっていなかった。その場にバシリクスのメンバーが来て居てくれなければそれまでである。佐々木小次郎のように焦ったら負けだ。大丈夫絶対上手くいくと自分に言い聞かせた。

そうこうしているうちに、バシリクスのメンバーがやってきたので、ビッキーさんにお願いした。

 

「挑戦状を受けてほしい。プロレスみたいで面白いと思うので…」 

 

この続きは来月号で。ひっぱるね。

<2014年6月30日の巻のtext>

ドリフターズ’82 コント巌流島の決闘

 

~youtubeより~

 

                                (looseむらやま)

 

木戸啓二郎:みそかごと通信 2014年5月31日の巻

〈挑戦状②〉

 

対決の日の朝、訳詞を作ったばかりの曲(朝日のあたる家)を試す為、ギターを持って、千曲川の河川敷にいった。

野外ということもあり、いつもと声の響きが違うせいか、低音域なのだが、まるでこの唄の主人公の娼婦の霊に乗り移られているような気がした。

しばらくすると、鷲だか鷹だか鳶だかわからないが私の頭上を旋回した。

この時、襲われるのではないかという恐怖と同時に今日の勝利を予告している気がした。このように、都合がいいように解釈して、対決の夜を迎えようとした。

 


<5月31日の巻のtext>

「おはよう子供ショー」に登場した特撮ヒーローのグリーンマン。

主題歌「グリーンマンからの挑戦状」をお聴きください。

 

                                (looseむらやま)


木戸啓二郎:みそかごと通信 2014年4月30日の巻

〈挑戦状①〉

2002年秋、ファーストアルバム(仮出所)を作ってすぐの頃のこと。私はヒライと組んで権堂のインディアに毎月のように出演していた。

そこには、バシリクスという気になるバンドも出演していた。

ボーカルのビッキーさんの歌唱力がずば抜けていた。

彼女に私に欠けている何かがあると感じた。

そんなわけで、挑戦状を出そうと馬鹿な考えを思いついた。


「挑戦状 バシリクス殿」

こないだは俺のハートを
けちょんけちょんにぶちのめしてくれて、どうもありがとう。
素直に敗北を認める。
おかげで、再起不能の状態に陥り、そして、復活することができた。
木戸のケイちゃんをナメたらあかんぜよ!!
特にそこのおネェちゃん!!
カウンターパンチかましてやるから、覚悟しといてくれ。
逃げたらあかんぜよ!!

2002年10月27日
木戸啓二郎

 

次号へつづく


<2014年4月30日の巻のtext>

「ニュージーランドからの挑戦状」

~youtubeより~

私事で恐縮だが職場にニュージーランド女性と結婚してる男性がいる。

彼曰く「ニュージーランドってオーストラリアの中にあるんだよね?」的な発言を彼女の前でするとぶっ殺されるぞ、だそうです。皆さんもニュージーランド人の前ではくれぐれも発言に注意しましょう。

 

                                (looseむらやま)

 


木戸啓二郎:みそかごと通信 2014年3月31日の巻

〈日曜の夜の静寂〉

日曜日の深夜放送…「オールジャバン・ポップ20」なる番組が12時半までやっていたと記憶している。放送終了のアナウンスを聞いた後はもの悲しさを感じた。

当時(1978年ごろの話)、国道沿いに住んでいた。高速道路がまだ通ってなかったので、深夜でも長距離トラックがたくさん走っていた。

トラックの轟音のフェードインとフェードアウトが子守歌代わりになっていた。

だが、日曜の夜だけは特別だった。運送屋が休みなのでトラックはほとんど走らず、たまに普通乗用車が通る程度だった。

なので、普段では聞こえない貨物列車の音が遠くから聞こえた。

「遠くで汽笛…ならぬ、貨物列車が通る音…を聞きながら」少し感傷的な気分に浸ったりした。


<2014年3月31日の巻のtext>

アリスの「遠くで汽笛を聞きながら」

~youtubeより~

 

                                  (looseむらやま)


木戸啓二郎:みそかごと通信 2014年2月28日の巻

〈ラジオドラマ〉

 

学生時代、テレビを持たない時期があった。

その頃、熱心に聞いたのがラジオドラマである。

当時、NHK第2で名作という番組が放送されていた。

国内・海外の有名作家の作品…純文学、SF、ホラーなど多岐にわたっていた。

当時、録音したカセットを今でもたまに聴いている。

ラジオドラマの利点は、テレビより想像力を掻き立てられることと、読書するより楽なのに、読書したと同程度の感動が得られることだと思う。

友達と何作かラジオドラマを作ったことがある。

ストーリーを決めておかなかった為、話しがまとまらず、支離滅裂で上出来とはいえなかった。が、それはそれで楽しかった。機会があれば、またラジオドラマを作ってみたいと思っている。


<2014年2月28日の巻のtext> 

ラジオドラマ『宇宙戦争』(The War of the Worlds)は、オーソン・ウェルズが、H.・G・ ウェルズ作『宇宙戦争』をラジオ番組化したものである。1938年10月30日にハロ­ウィン特別番組として、アメリカのラジオ番組Mercury Theatre on the Airで放送された。この生放送は多くの聴取者を恐怖させ、実際の火星人侵略が進行中­であると信じさせた。

「番組はまず、次のようなアナウンサーの紹介ではじまった。『コロンビア放送会社およ­びその傍系放送局は、オーソン・ウェルズおよびマーキュリー放送劇団による、H・G・­ウェルズ作「宇宙戦争」を放送します』
ところが不思議にも、この紹介があってから、一向に劇がはじまるような気配がなかった­。そのかわりに、つまらない天気予報が放送された。つづいてアナウンサーの声が出てき­て、これからニューヨークのバーからのダンス音楽の中継放送に移りますと発表した。し­ばらく、スウィング・バンドの音楽がラジオから流れだしていたが、突如として番組が中­断され、アナウンサーの興奮した声が、『これから臨時ニュースを申し上げます』とあわ­ただしい発表を伝えてきた・・・」

~youtubeより~

 

                                  (looseむらやま)


木戸啓二郎:みそかごと通信  2014年1月31日の巻

〈レコード針〉

 

レコードに針を置いた時に出るジージー音。

期待感は高まる。

音量レベルを把握できる。

カセットテープに録音する際、あえてジージー音を入れる人もいるだろ。 

CCRのギターリフは針がとんでいるように聞こえる。

円広志の夢想花はレコード針がとんだことから着想したのだろうか。

埃がたまると音がとんでしまうのがレコード針の欠点であるが…味わいの一つと言えなくはない。

 

ところで、どうして一本の針から左右2チャンネルに分かれるのだろうか?

縦揺れと横揺れを感知し区別されるらしい。

それでは、一時期流行った4チャンネルは…何揺れを感知するのだろうか?

 


<2014年1月31日の巻のtext> 

 creedence clearwarter revival/Down On The Corner

~youtubeより~

針がとんでるギターリフ?


                                (looseむらやま)

<2014年1月31日の巻のtext2> 

 円広志/夢想花

~youtubeより~

誰もが知っているあの有名なサビは針がとんだ事から着想したのだろうか?

それにしても廻転寿司からの中継って・・・身を削ったギャグだな。

 

                                  (looseむらやま)


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   木戸啓二郎:みそかごと通信 2013年2月28日の巻

〈プロテストソング〉

 

兄貴のギター弾き語りで初めて「春のからっ風」を聴いたのは中学生の頃だった。それまで流行歌には甘ったるいラブソングしかないと思っていた。そんな私にとって、泉谷しげる氏の「春のからっ風」は衝撃的だった。この時プロテストソングという存在を知った。

 

「春のからっ風」は社会に押し潰されそうになる個人の尊厳を唄っている。学校への強い反発を感じていた私にとって、歌詞がすんなり入ってきた。これぞプロテストソングだと実感した。

 

プロテストソングとは直訳すると抗議の唄で、公民権運動や反戦歌などが含まれる。だが、あまり狭い枠にはめるべきでないかもしれない。

 

ボブディランは「もうプロテストソングは唄わないのですか?」という質問に「私の唄は全てプロテストソングだ」と答えた。事情を知らないインタビュワーをはぐらかしただけかもしれないが、プロテストソングというジャンルはロックと同じように精神的な意味も含んでいるようだ。

 

さて、現代ではプロテストソングなど忘れ去られてしまったかのようだが…

故筑紫哲也氏は一つの方向に流されやすい現代の風潮を危惧していた。そのうち戦前のように自由にものが言えない世の中になってしまうのではないかと。

 

こんな時代だからこそ、新しいプロテストソングが求められてるのではないか!

私のレパートリーの中にプロテストソングは一曲もないのだが…(汗)

 

 

 

 

                           <2013年2月28日の巻のtext>

春のからっ風/泉谷しげる

1973年11月10日発売(エレック BE-1014)

sideA:春のからっ風 sideB:おー脳!


(looseむらやま)


木戸啓二郎:みそかごと通信 3月31日の巻

〈深夜放送〉

 

深夜12時頃「ミステリーS」という怪談ラジオドラマを聴いた。兄の部屋だった。たぶん一人では怖くて聴けなかっただろう。かなりインパクトがあったから。この日聴いたそれ以外の番組は覚えてない。小学三年頃のことだった。この頃から深夜放送に興味を持ち、聴き始めた。

 

「パンチ・パンチ・パンチ」は放送が深夜ではなかったが、よく聴いたのを覚えている。雑誌「平凡パンチ」の宣伝用番組で、ちょっとエッチな内容は小生(小学三年生)にとって刺激的だった。

 

高学年になると、「オールナイト日本」や「コッキー・ポップ」「オールジャパンポップ20」などいろいろ聴いた。

この頃、クラスで深夜放送を聴いていたのはラジオ屋の息子と私だけだった()

 

中学生になると深夜放送を聴く時間も、聴いているクラスメートも増えた。「オールナイト日本」は人気があったし、私もよく聴いた。

だけど、一番のお気に入りは裏番組で、しかも電波の遠い文化放送の「吉田拓郎のセイ・ヤング」だった。音楽あり、しゃべりあり、歴史解説あり…バラエティーに富んだ番組構成で、特に拓郎氏のしゃべりはレベルが高いと感じた。憧れだった。

 

現代ならブログなどで有名人の素顔を垣間見ることができるが、当時(70年代)は深夜放送(ラジオ)を聴くぐらいしか手段がなかった。

吉田拓郎氏をはじめ当時のフォークシンガーはほとんどテレビに出演しなかった。だから、パーソナリティーとしての彼らの肉声は特別な意味を持っていた。

アングラ・フォークなる流行語もこのような状況から生まれた。

 

そんなこんなで、なんだかんだあって…最近ではほとんど深夜放送は聴かなくなってしまった。だが、車でラジオをかけるとしたら、音楽重視のFMより、しゃべり重視のAMだ。深夜放送世代としての名残だろうか。

<2013年3月31日の巻のtext>

吉田拓郎のセイヤング、未発表曲の弾き語り音源。

~youtubeより~

 

                                  (looseむらやま)

 

木戸啓二郎:みそかごと通信 2013年4月30日の巻

<富山ディランズネットワーク>

3月に亡くなった石原会長を追悼して何回か特集したいと思います。

 

その1.出逢い

 

1994年冬、ボブディラン三度目の来日公演。

私は横浜から名古屋へと追っかけをやっていた。

 

名古屋センチュリーホールへ下見に向かう途中、同じ方向へ歩いているサングラスを掛けた不良っぽいオジさんに声を掛けた。

「ディランですか?」

私の記憶はこうなのだが、石原さんも自分から声を掛けたと記憶していた。

まぁ、どちらからともなくといった所だろうか。これが、石原さんとの運命的な出逢いである。

 

開演まで時間があったので、会場のラウンジでビールを飲みながら過去の公演の話などした。

一週間ほど前に観た横浜文化体育館のステージ、石原さんは興味津々だった。

また、石原さんは初来日、私は二度目の来日をそれぞれ目撃していた。ちょうどパズルのようにお互いの不足分を補充できるのだった。

ステージが終わったら、また落ち合おうということになった。

 

一軒目は名古屋駅の繁華街とは反対口にある居酒屋だった。

隣の客も巻き込んで今さっきのディランのステージの話で盛り上がっていると、その店の女将も話に加わった。ハリー・ベラフォンテを観た時の感激を熱く語ってくれた。

それから繁華街になだれ込んで、朝まで飲んだ。

石原さんは富山市在住で元ブン屋で土方とゆう変わった経歴を持っていた。

なぜ、新聞記者を辞めたのか、結局亡くなるまで訊けなかった。

話は尽きなかった。

 

外に出ると雪が降っていた。

とても、幻想的で素敵な一夜だった。

 

see you againと言って僕らは別れた。

<2013年4月30日の巻のtext>

ボブディラン初来日時のライヴ音源です。

2時間18分、たっぷりお楽しみください。 

~youtubeより~


                                (looseむらやま)

 

木戸啓二郎:みそかごと通信 2013年5月31日の巻

〈富山ディランズネットワーク〉 

その2.再会そして新たな出逢い

 

その年の春、ギターを持って石原さんに会いに行った。富山湾のテトラポットで初めて石原さんに唄を聴いてもらった。潮風が喉にしみた。

 

その後も、私の結婚披露宴に来ていただいたり…交流は続いた。そうこうしているうちにボブ・ディランがまた来ることとなった。

 

1997年2月10日、東京国際フォーラム。興奮した若いファンがステージに上がってしまうというハプニングが起こったのはこの日である。

 

この時参加したのは石原さん、神保さんと私である。

 

チケットが一枚余っていたので、石原さんの友人である(第1回イベントで司会を務めた)牧野さんの紹介で神保さんが参加することになった。

 

会場で初めて神保さんとお逢いした。お髭をはやした商店街のお兄さんという印象だった。

 

ステージが終わった後、一杯やって…それからサウナで泊まった。

 

朝起きたら、報知新聞に昨夜のディランの記事が載っていることを石原さんが知らせてくれた。

 

「シー・ユー・アゲイン」と言って三人は別れた。

 

一年後ディランズネットワークは石原代表の下、神保さんプロデュースで第1回と第2回のライブイベントを富山で行うこととなる。

<2013年5月31日の巻のtext>

ボブディラン1997年2月10日のライヴ音源です。

~youtubeより~


                                 (looseむらやま)

 

 

木戸啓二郎:みそかごと通信 2013年6月30日の巻

〈富山ディランズ・ネットワーク〉 

その3、富山での初イベント

 

「マイク真木!」

石原会長のダジャレで緊張した雰囲気が一気に和んだ。シティーFM富山にて、生放送直前、マイクテスト中の一コマである。

 

余談だが私のオリジナル曲「ダジャレでJOY」は石原さんの助言に基づき、この時の感動を歌ったものである。

 

この日、ディランズ・ネットワークとして初イベントを行う為、神保さんの伝手で富山のローカルFM局に宣伝に来たのだった。

 

1998年8月22日。タイトルは「ボブ・ディランで酒を飲む会」。出演者は石原会長、神保さん、司会の牧野さん、マルガリータのマスター、私であった。そして、飛び入りで大谷さんが加わった。

 

私にとって、このイベントは転機となった。なにせライブをやるのが8年ぶり、ほとんど人前で歌ってなかった。以後、ライブ活動を再開することとなる。

 

この時、強く感じたのは神保さんはじめ富山の皆さんの音楽に対する情熱だった。私より一回り以上?年配の方々のパワーに圧倒された。私も斯くありたいと思った。興奮醒めやらず、熱に浮かされたような状態がその後しばらく続いた。

<2013年6月30日の巻のtext>

マイク真木/政見放送。

~youtubeより転~

                             (looseむらやま)

オマケ↓                    

やれるもんならやってみな・・・。

 

 

木戸啓二郎:みそかごと通信 2013年7月31日の巻

〈富山ディランズ・ネットワーク〉

その4、第二回イべント「取り戻せ!消えた夏」

 

第二回は第一回と同じ年の11月22日、やはり神保さんのプロデュースで同じくマルガリータで行われた。タイトルは「取り戻せ!消えた夏」。

この年、冷夏だったことから神保さんが名付けた。第一回はディランのカバー曲が中心だったが、第二回は各メンバーのオリジナル曲中心のステージとなった。長野から同級生の平井が加わり、富山から第一回で飛び入り参加した大谷さんが加わった。

大谷さんの演奏中だったと思うが、酔っ払ったお客さんが入って来て、私の座席のほうによろけてきた。長髪でハードロックっぽい風貌だった。

この人がペダル・スティール弾き語りの第一人者、千田さんだった。

彼は大谷さんの伝手でこの会を知り、後に飛び入り参加することになる。

私の演奏中、接触が悪くてギターの音が出なくなった時、千田さんが助け舟を出してくださった。ありがたかった。

 

第一回第二回を通じて神保さんの企画力が素晴らしいと感じた。

その後、神保さんの二番煎じで、私がこの会の企画をする事になる。

別れ際に「シー・ユー・アゲイン」と言ったかどうかは実はよく覚えてない。ただ、それが我々の合い言葉であったことは確かである。

<2013年7月31日の巻のtext>

Bob Dylan & the band/I shall be released(from The LastWaltz)

~youtubeより~

 

                                  (looseむらやま)


木戸啓二郎:みそかごと通信 2013年8月31日の巻

〈富山長野ディランズネットワーク〉

神保さんからの強い要望があり、会の名称を変更しました。

その5.松本まっぴるまライブ

 

打ち合わせを兼ねて会場となる陀瑠州で飲んでいると…偶然、店に電話がかかってきた。ペダルスチールの千田さんからだった。以前この店に出演された時のことなど、よくママから聞かされていた。そんな最中の電話だった。イベントには参加できないが、明日、近くの高校でライブをやるとのことだった。

翌日、行ってみると…文化祭でもなく、通常授業の放課後だった。

体育館へ行ってみると…学生ではなく、教師たちが集まっていた。

その高校の教師である山岸さんと千田さんとのセッションが行われた。山岸さんもディランファンで我々のイベントを見に来てくれることになった。

 

2000年9月16日、第3回イベント「松本まっぴるまライブ」が、松本市のジャズ喫茶陀瑠州(だるうす)で行われた。出演者は石原会長、神保さん、平井さん、私の4人で、私が初めてプロデュースすることになった。お客さんは5人しか集まらなかったが、シンプルで良いライブだったと言い訳がましいが思う。

これ以後、山岸さんはイベントに参加してくださることとなる。

 

(お知らせ)

来る9月22日(日曜)、午後3時より、長野市権堂のインディア・ザ・ロックにて、富山長野ディランズネットワーク企画による「石原会長追悼ライブ」を行います。1ドリンク1チャージ千円です。ご協力お願いします。

<2013年8月31日の巻のtext>

Bob Dylan 時代は変わる

~youtubeより~

 

                                (looseむらやま)


木戸啓二郎:みそかごと通信 2013年9月30日の巻

〈富山長野ディランズネットワーク〉

 その6、富山発~松本経由~途中下車長野 

 

まっぴるまライブの翌年(2001年)にボブディラン五度目の来日公演があった。

最終日の3月14日、日本武道館で六ヶ月ぶりに四人は再会することになった。

開演前、居酒屋「あいうえお」で一杯やり、近況報告しあったり、ディランのこの頃の状況や、ディランズネットワークの展望など話し合った。この頃のディランは最終曲に「風に吹かれて」を全く新しいアレンジで演奏する事が多かった。

この日もラストは「風に吹かれて」だった。

久々のディランを堪能して四人は「シー・ユー・アゲイン」と言って別れた。

 

私事だが、この年転勤があり、生活の拠点(ライブ活動の拠点)は松本から長野に移った。二年後の2003年5月4日、インディア・ライブ・ザ・スカイにて四回目のイベントが行われることとなった。出演者は石原会長、神保さん、山岸さん、千田さん、ルースマン、木戸。第三回イベントでの集客力の悪さを反省し克服する必要性に囚われすぎたせいか?他のイベントとジョイントする形になってしまった。

前日、石原会長に「客など集まらなくても良いから我々のイベントとして区別すべきだ。他のイベントと混ざるのは不甲斐ない」と苦言を呈された。

多少のごちゃ混ぜ感はあったが、時間帯で区別することによって辛うじてディランズネットワークのイベントとしての独自性は保てたと思う。

集客力は課題ではあるが、主旨から離れてはならない。 

<2013年9月30日の巻のtext>

Bob Dylan Blowin' In The Wind(live /July 10th,2013)

~youtubeより~

 

                                  (looseむらやま)


木戸啓二郎:みそかごと通信 2013年10月31日の巻

〈富山長野ディランズネットワーク〉

 その7、ボブディラン一夜漬け 

 

空が薄暗かった。

「良かった。まだ、夕方だ!」 

どうやら酔っ払って駅前の空き地で寝てしまったらしい。 

「ん?でも、よく考えると…いけねえ!夕方じゃなくて、明け方だぞ!」 

 

この日、数日前に行われたボブディラン一夜漬けの写真を見せてもらう為、小宮山さんとインディアで会う約束をしていた。急いで行ってみると、ちょうど店を閉める所だった。小宮山さんはとっくに帰ってしまったらしい。 

 

この日の数時間前、電話で石原会長からお褒めの言葉をいただいた。その嬉しさもあり、調子にのって一軒目で飲み過ぎてしまったようだ。おまけにメガネをなくしてしまった…。

  

第五回イベント「ボブディラン一夜漬け」は2006年6月24日、インディア・ザ・ロックで行われた。出演者は石原会長、神保さん、山岸さん、ジョンさん、ムラヤマさん、ヒライさん、紅一点・和豆さん、飛び入り参加の大町のブルースバンドの皆さん、木戸。

  

インディア・ザ・ロックはインディア本店の横にオープンしたばかりで、当初、ライブはノーマイクで行われていた。とりわけ、とりを務めた山岸さん&サックス奏者のジョンさんの演奏は盛り上がった。ラスト曲の「イッツ・オール・オーバー・ナウ、ベイビー・ブルー」では二人連なって路上まで繰り出した。ライブが終わった後は石原会長が持参したビデオを鑑賞したり、レコードジャケットの蘊蓄を語り合ったりした。 

 

集客数、イベントとしてのねらい(意図)からいっても、上出来だったと思う。達成感と安堵感があった。だが、満足してしまうと、なかなか先には進めない。今となっては遅いが、この年にもう一度ぐらいイベント出来たのではないかと思う。

 

「ボブディラン一夜漬け」は石原会長が参加した最後のイベントとなってしまった。

<2013年10月31日の巻のtext>

Bob Dylan it's all over now,baby blue 

~youtubeより~

 

                                 (looseむらやま)


木戸啓二郎:みそかごと通信 2013年11月30日の巻

〈富山長野ディランズネットワーク〉 

その8、SEE YOU AGEIN

 

2010年にボブディラン六度目の来日公演があった。

お台場にあるZeep東京という立ち見のライブハウスが会場だった。 

 

3月25日、石原さんと私は池袋で落ち合って、例によってまず中華料理店で一杯ひっかけた。石原さんの情報によると、今回ディランはギターをほとんど弾かず、キーボードプレイに徹するらしい。 

場所をお台場のパレットタウンに移して会場を確認してから、また一杯やった。

三階にあるラウンジからの眺めは夕暮れのスクリーンだった。

なんだか気味が悪かったし、酒代も高くついたので、場所を地下のラーメン屋に移した。そこで、神保さんと合流した。

「一夜漬け」以来久々に対面した三人であった。

積もる話もあり、店にあったビールを全部終わらせてしまった。

 

石原さんと私はステージより10列目ぐらいから詰めていって5列目ぐらいに陣取った。神保さんは後でいらした妹さんと後ろの方にいた。 

 

アナウンスがあり、久々にディランがステージにやって来た。一曲目は「河の流れを見つめて」だった。感極まってさっき飲んだビールが河の流れのように涙となって流れ出した…。そうこうしている内に最終曲。

 

石原さんが「サンキュー・ボブ!」と叫んだ。 

私もつられて「サンキュー!」と叫んだ。

 

たぶんディランに届いたと思う。 

 

帰りは私の最終乗り換え時間がギリギリでゆっくりしている余裕がなかった。

神保さんは妹さんの所に泊まられるとのことで携帯で別れの挨拶をした。

石原さんと私は高速バス、新幹線の乗り換え駅へ急いだ。

 

「もうこれで最後かもしれない…」

 

「そんなことはないですよ。また、来ますよ」

 

「それじゃ、シー・ユー・アゲイン!」

 

「シー・ユー・アゲイン!」 

 

これが石原さんとの今生の別れとなってしまった

<2013年11月30日の巻のtext>

Bob Dylan くよくよするなよ(2010年zepp東京でのライヴ音源)

~youtubeより~



                                 (looseむらやま)

 

木戸啓二郎:みそかごと通信 2013年12月31日の巻

〈富山長野ディランズネットワーク〉 

その9、石原会長追悼 

 

今年の正月、石原さんから電話があった。二年前に心臓病で倒れてから体調不良が続き、声に元気がなかった。 

「お酒しか飲めないんだ…」

「ディランも聴いてないんだ…」  

私は元気づける言葉をかけることもできず、ただ相槌を打つだけだった。 

 

それから二ヶ月後、神保さんからの着信履歴を見たとき、嫌な予感がした。

そうでないように祈った。

がしかし、予感は当たってしまった。

この日、神保さんは石原さんのお葬式に参列していた。 

 

神保さんの提案で、五月、石原さんのお墓参りに行って唄を捧げることとなった。 

石原さんの墓前に立ち、神保さんが二曲、私が三曲捧げた。

石原さんに届いただろうか? 

 

2013年9月22日、「石原会長追悼ライブ」が行われた。

場所は前回と同じインディア・ザ・ロック。参加者は牧野さん、神保さん、山岸さん、ムラヤマさん、ペータさん、タカノさん、私である。

牧野さんには石原さんにまつわるお話をしていただいた。

村田投手引退試合の日の秘話は石原さんらしいなと思った。 

 

石原会長、謹んでご冥福をお祈りします。

  

これで、富山長野ディランズネットワークのお話はとりあえず、おしまいです。

長々読んでくださってありがとうございました。 

では、 

See You Again!

<2013年12月31日の巻のtext> 

 Bob Dylan:knockin' on heaven's door(unplugged)

~youtubeより転載~

 

故石原会長に敬意を表して。合掌


                                (looseむらやま)